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吉岡里栄子さん

「自我」という能力で、スポットライトが当たる場所で持てる力を発揮

吉岡里栄子さんは、関西で最も知られているストレングスコーチの一人である。神戸を中心に精力的にセミナーや勉強会を行っている。彼女の活動でストレングスファインダーを知ったと言う関西人も多いはず。一方で、社会保険労務士という、もう一つの顔を持っている異色の存在でもある。兵庫県社労士会の理事、そして神戸西支部副支部長という重い肩書きをもち、特に社労士への研修に力を注いでいる。そんな影響力のある彼女のストレングスにおける最大の売りは「自我」という、「ステージに上がる」と言う能力だ。スポットライトが当たる場所こそ、彼女は持てる力を発揮できるし、周りもその役割を彼女に期待している。
ただ、吉岡さんは、最初、トップ1に出てきた「自我」をどうしても受け入れられず、抵抗してストレングス本(才能本)を投げ捨てたと言う。今回は、「自我」を受け入れ、自分の物とした時に、初めて道が開けたという、吉岡里栄子さんの話を伺った。
小さな頃の話を聞かせてください
私は3人姉妹の真ん中でした。幼稚園の頃の私は外では大人しい子でしたが、家の中では目立ちたがる子でした。真ん中の子って忘れられがちじゃないですか、親から認められたくて“我を張る”行動を取っていたのだと思います。姉妹の中で幼いころから独立心が強かったように思います。それを両親は分かってたのでしょうね。私にいつも言っていた言葉があります。「お前は、我が強いのだから、我慢しなさい、自分を強く出してはいけない」「女の子は、控えめにしないといけない」と言われて育てられてきました。自分を出したいのだけど、それをすると親に怒られる。幼いながらも葛藤がありました。良い子にしないといけないと思って、幼稚園の砂場で一人で遊んでいたような暗い子供でしたね。
小学校に入ると、運のいいことに成績が良かったんです。運動神経も良かったので、注目されるようになりました。友達も増えていきました。幼稚園ではおとなしかった私は、小学校入学後は急に明るい子になったんです。親以外にも褒めてくれる人がいる、それが分かった私は、学校がとても好きになりました。学校で注目され認められるようになった私を見て、親は喜びを見せる反面、やはり言い続けました。「女は男について行くものだ、男に選ばれる女になれ、だから控えめでいろ。」と。両親は昭和10年代の生まれです。その時代の親ならばそういう考えが自然な事だったでしょう。今思えば、仕方ない、その考えは正当だと思います。そう、これは、一定の年代以上のすべての女性が親から与えられるダブルメッセージだったと思います。矛盾しているけど、女の子の幸せを願う親なら当たり前のことだったのだと思います。
その後、中学校で成績は落ち気味になり、私は地元の普通高校、本当に偏差値も普通の普通高校に入学しました。親は、がっかりしたようでしたが、中学時代にこれといって何かしてたわけではない私は色んな事がどうでも良くなっていました。あまり期待もせずに入学した高校ですし、何をしようかと迷ってましたが、部活に入ろうと、演劇部に入部しました。理由は新入生への部活紹介で、3年生の先輩が、朗読風に一人芝居を見せてくれたのがきっかけでした。一人にスポットライトが当たって、自分を見てもらえる。そこに惹かれたからです。でも、顧問の先生が部活動にまったく関わらず、廃部のような状態になり、結局退部しました。その後の高校時代は、やりたいこともなく、まるで死んでるように生きてた気がします。高校時代で覚えている一番印象的なシーンがあります。ある時、たまたまなんですが、隣町の高校の吹奏楽部の定期演奏会を見に行きました。その高校の吹奏楽部は全国大会でも金賞を受賞したことがある名門校です。高校生活を吹奏楽にかけている彼らを見た時、私は号泣していました。彼らが羨ましかったのです。舞台の上で、思いっきり演奏で表現している彼らがまぶしくて、今の自分には、頑張れる舞台が、自分を表現できる舞台が無くて羨ましかったのです。自分を認めてもらえる舞台を欲していました。そして、地元の短大を卒業した後、地元の信用金庫に就職しました。
当時、男女雇用機会均等法は施行されていましたが、「女性は結婚したら、子供が生まれたら仕事をやめて家庭に入る」という風潮が、まだまだ強かった時代です。結婚や出産を機に退職した女性の先輩たちを見ていると、再就職はパート勤務をしている人がほとんどでした。再就職で正社員勤務を希望しても叶わなかったのだろうと思います。それが当たり前の時代でしたが、私はそうなるのが、どうしても、どうしても…嫌でした。「一生できる仕事が欲しい、何か専門性を身に着けなければ…」そう考え、資格を取得することにしました。その時に社会保険労務士は将来性がありそう、と思い、受験科目に何があるのかさえも知らぬまま、受験予備校のコースを受講し始めました。28歳の時です。最初はとんでもない勉強を始めてしまった、合格なんて夢のまた夢かも…と思っていましたが、勉強を続けるうちに、ようやく合格圏内に入ってきました。その頃、親が心配して、お見合いを勧めてきました。合計15回くらいはお見合いをさせられていたと思います。中には、結婚してもよかった男性がいたかもしれません。でも、私は社労士を合格するまではどうしても結婚する気になれませんでした。合格を手にしないと私の人生が開けない、と思っていました。普通の高校、地元の短大、地元の信用金庫…、このままだと私の人生はパートの仕事で終わる…、私の人生を私のものにするには社労士の資格という“道具”が必要だと強く思っていたのです。とにかく合格するまでは、と、試験直前は毎日5、6時間勉強していました。紙に「絶対に最後まで諦めない!!」と書いて机に貼っていました。
そして5回目の受験で、ようやく合格できました。私は34歳になっていました。そしてその2年後、パートナーが見つかり、結婚しました。
ストレングスファインダーに出会って何か変化がありましたか?
社労士試験に合格し、結婚相手も見つかり、長い時間かかったけど、私の人生に少しずつ光が射してきたと思ってました。幸せは誰の元にも訪れると、感じていたその矢先、今度は別の問題が私を襲ってきたのです。「不妊治療」。それから10年間格闘しました。
私は、高校生くらいの時から、子供を持ちたいと強く願っていました。結婚が遅かったため時間がないので、すぐに治療を始めたくらいですから。その結果、4回妊娠しました。でも、すべて流産しました。私は、不育症だったのです。いつかは諦めなくてはならない。でも、可能性はまだあるのではないか、そう思い続けての10年間でした。主人の仕事の関係で、群馬から神戸に引っ越したのを機に、治療を終了しましたが、その後、「自分の人生に子供がいない」ことを受入れるのにずいぶん時間がかかりました。その受け入れる過程で、なんでこんなに子供を持ちたいと思っていたんだろう…と思い返すと、子供の頃に聞いていた父親の言葉が影響していたことに気がつきました。「子供を産めない女はクズだ、生きている価値がない」今の時代、こんなこと言ってたら完全にアウトですよね(笑)。この言葉から、幼かったころの私に「女として生まれた以上、子供を産まないといけないんだ」という考えが刷り込まれたのだと思います。純粋に女性の本能として子供を産みたい、というところももちろんありました。でも、親の言葉の影響は大きかったと思います。ここで「子供を産まないと親から認められない」という思考が、私の奥に隠れていたことを、のちに気づくことになるのです。認められない…、もう一生、親に認められることはない…、これは私にとっては、本当にしんどいことでした。満たされない悔しさ、悲しさなど、自分でどう扱っていいかわからない感情に振り回されていました。そんな時です、ストレングスファインダーに出会ったのは。
ストレングスファインダーに出会ったことで、これまでの感情に「自我」や「最上志向」と名前をつけて客観視する事が出来たんです。結婚して子供のいる家庭を持つのがよりいい人生、と考えるのは「最上志向」から。自分の上位の資質で自分に縛りをかけていたように思います。それを自分で理解できたことで、その後、振り回されながらも、自分が持つストレングスをどう扱うかに観点が行って、徐々に感情のコントロールが出来るようになっていったんです。ストレングスファインダーと出会って、私は、生きやすくなりました。
今は「自我」の才能が他の人にはない私の才能なんだと思えています。「吉岡さんが来ると場が華やぐよね」「人前に立って話すときは、輝いて見えるよ」最初は、そう言ってもらえることを素直に受け入れられませんでした。ですが、何回かそういったフィードバックをもらってから、人前で話すときに堂々と伝えたり、思い切り演じるように伝えてみたり、と意識していたら、更にいいフィードバックをもらえるようになったのです。私はストレングスファインダーのセミナーで、34個の資質の特徴を、演じるように伝えています。それを参加者が楽しんでくれてる瞬間は、無上の喜びです。 魂が震えるほど感動するときがあります。そんな時は自我も生きてて、私自身も生きてる!と感じられます。「自分の舞台は自分で作る」自我にとっては、どんなに小さな舞台でもいいので、見てもらうことはとても重要です。まず舞台に立って、見てもらい、フィードバックをもらう。自我はその繰り返しで強みに成長していく資質であると、身をもって体験しました。今、思い返すと、「自我」があるからこそ苦しみ、悩み、そして人生を切り開いてきたようにも思えます。
今後はどのような事をやっていきたいですか?
私は、ストレングスを知って、自分の感情と対峙する事ができました。苦しんでいる多くの人も、これを伝えることで楽になれる人がいるんじゃないかと思ってます。特に一般の会社に勤めながら自分の人生を真剣に考えている方々、苦しんでいる方々に強みを活かした働き方を提案していきたいです。誰かの人生を真似る必要はない、もうすでにオリジナルな存在である、その人の人生に、光を当てたいのです。私の「自我」の資質を活かして、承認したい。今、私は、「共笑(ともえ)塾」というオンラインサロンを準備しています。そこで、自分の仕事人生を真剣に考えている方々や、強みを活かした働き方を共に提唱してくれる全国の社労士の方々と「共に笑い、共に生きる」ための働き方を模索していきます。私のミッションである「すべての人が自分の強みを活かして職業を選択し、糧を得て、生きていける社会の実現」を一緒に推進してくれる仲間のコミュニティを作りたいのです。
吉岡里栄子
インタビューを受けた方
吉岡里栄子
プロフィールの詳細は追加予定です。